書評・感想ブログ。
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ペンギン・ハイウェイ / 森見登美彦 (角川書店)
評価:
森見 登美彦
角川書店(角川グループパブリッシング)

これが自分を観察するということであろうか。


観察と研究と考察を繰り返す、抜きん出た小4男子アオヤマ君。彼の町に現れたペンギンの大群。どうやらそれに関与しているらしい歯科医院のお姉さん。アオヤマ君はお姉さんの研究をすることになる。

アオヤマ君は気難しい子なのかと思いきや、「おっぱいのことを考えれば怒りはおさまるよ」とぬけぬけと言う子供である。自分の世界をきちんと持っており、ペースを乱さない。いじめられても、淡々と研究を続ける。共感できるようなできないような不思議少年のアオヤマ君。彼の語りで物語は進む。
彼は賢いけれど、子供であるが故に、彼の中でお姉さんがどのような存在であるのかがわからない。そこがいじらしくてかわいい。お姉さんが体調を悪くすれば一緒に元気を失い、お姉さんが何も食べられなくなったら、自分も同じような体験をして分かち合おうとする。
中盤から、ともに研究をする仲間が増え、夏休みに突入する。基地を構え、定点観測などをする。夏休みの自由研究が苦痛でならなかった身としては、自主的に本格的な実験をしている彼らが末恐ろしい。しかし、本当に興味があることだったら、これくらいの熱心さで実験をするのだろうな、子供は。
 

「でも、世界には解決しないほうがいい問題もある」


すべてに結論・回答をつけて生きてきたアオヤマ君もペンギンの研究は行き止まる。そこで父が彼にこの言葉を投げかける。生きていると解決しないほうがいい問題、時間が解決する問題等々さまざまなものが生じる。そのさじ加減を知るということが大人になるということなのかなあとぼんやりと思う。

この物語は「アオヤマ君の初恋の物語」といってしまえばそれだけである。
それだけであるが、恋というものを認識したことがない小学四年生の男子がそれを理解するには、これだけの不可解な要素が必要で、そしてすべて終わってから彼は言う。「父さん、ぼくはお姉さんがたいへん好きだったんだね」
なんでもかんでも恋愛に結びつけてしまう下世話な大人になってしまったものよ、と自分を哀れんだ。
気持ちと言葉が結び付かないというのは、もどかしいけれど素敵なことなのかもしれない。


2011年本屋大賞第3位
第31回日本SF大賞

(Amazon)ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)
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残り全部バケーション / 伊坂幸太郎 (集英社)

「問題」児がいるのであれば、「答え」児もいるのではないか、


わたしの読書熱の再スタートは伊坂幸太郎の「オーデュボンの祈り」だった。よって、伊坂作品には並々ならぬ期待があり、読み始める前に少しだけ特別な気持ちになったりもする。
そんなわけで、一ファンとしては、「いつも通りの伊坂幸太郎の著作」を読みたいと思う反面、「新しい伊坂幸太郎の一面も読んでみたい」とも思う。でも、いつもと違いすぎても困る。そんなわけで、いつも新しい本を手にするときは緊張する。どっちだ?

本書は、裏家業から足を洗いたい若者岡田と裏家業のベテラン溝口の連作短編である。
見知らぬ家族とドライブをしたり、タイムスリップを演じたり、検問にひっかかったりする。時代も語り部もバラバラだけれど、伏線が回収され、物語がすっとひとつにまとまるお馴染みの伊坂作品だった。

なんだかいいなあと思っていたのは、「ゴルゴ13」で語られる時系列だ。
ある話では、溝口が岡田に、ゴルゴ13を全巻読んでみたいなあと漏らし、ある話では全巻読破したことを自慢する。物語では語られない部分で溝口が生活していることが伝わってくる。ゴルゴ13の全巻読破。おっさんらしい。
若者とおっさんのコンビというのはずるいよなあ。


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(Kindle)残り全部バケーション (集英社文芸単行本)
(amazon)残り全部バケーション
美女と竹林 / 森見登美彦 (光文社)

事件は机上で起こればいい


何冊か読んだところで人となりが気になったので、エッセイを読んでみる。おお、このタイトルも聞いたことがあるぞ……森見さんはこっそりとわたしの外堀を埋めていたのであるな、ふむふむ。
本書はエッセイであるはずなのだが、森見さんの好物「美女」と「竹林」に特化した書物であり、またその大半が森見さんが得意とする「妄想」である。エッセイであるはずなのだ。エッセイで……。

たとえば、レポートだとか読書感想文を書かなければならないとする。だがしかし、時間がなかったり、課題図書とどうも気が合わずに読みきれない。ネット上のものをコピペするのは盗用である。どうするか。
本書の出番です。
「美女と竹林」について書く、「竹林の手入れ」について書く、という主旨から大きくはずれていく様は見ものである。中盤以降は竹林へ行けないことへの懺悔、竹林開発が成功した場合の妄想が綴られ、「そうやって文字数を稼ぐのか、森見氏よ」と学ばせていただいた。つまり、自分の文章で妄想を書き綴ればいいのだ。

これじゃあ、あんまりなので、本書で「竹林」について学んだことを報告する。
竹林は1本が開花すると枯れるのである。地下で竹がつながっているから!すごい。竹って花が咲くんだ。気にしたこともなかった。どおりで竹の花を見たことがないわけだ。
本書を読むと、森見さんのほかの作品で登場する「竹林」に敏感になる。あそこにもここにも竹林。
美女はどこへ行ったのやら。

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有頂天家族 / 森見登美彦 (幻冬舎)

楽しきことは良きことなり。


 長らく、森見登美彦さんの著作を読むことができなかった。「恋文の技術」を数年前に読んだきりだ。「この作家は面白い、面白いので読破しよう」と思っても、図書館で借りられない。誰も彼もが「夜は短し、歩けよ乙女」と言っている。書架に本が並ぶのを待つとしようではないか、と思って数年。
 「有頂天家族」はアニメ化していた。しかもわたしが好きな声優が演じている。
そして観始めて驚いたことに、このお話は狸と天狗と半人間のお話だったのですね。
結論からいうと、アニメをみておいてよかった。狸が達磨に化けたり、虎に化けたり、しまいには蛙の姿から戻れない狸など、想像力の貧困なわたしには理解に苦しむ。
 このアニメをみてから、「阿呆の血のしからしむるところ」「楽しきことは良きことなり」と全てを流すことが増えてしまったのだが、よい言葉である。オープニングの曲でも歌っていたが、つまらないなら楽しく変えてしまえばいいのだよな。うむ。
 

「食べちゃいたいくらい好きなのだもの」


 狸界の頂点に君臨した偉大なる狸を父に持つ4匹の子狸たちは長所が1つずつ、どうにも皆頼りない。中でも阿呆の三男・矢三郎の語りで物語は進む。長男も次男も四男もそれぞれにストーリーを持ち、母もなかなか個性的だ。母の決め台詞「くたばれ」がわたしは好きで、物語で子狸たちが「くたばれ」と言う度に、家族の結束力を感じて嬉しくなったものである。
 狸以外に、天狗や人間も出てくる。わたしのお気に入りは、狸鍋を好む美女の弁天様だ。弁天様の言葉がどれもこれも艶っぽくて素敵だった(アニメでも素敵だった)。「あなたが喧嘩を売ってくれたら、私喜んで買うのに」いつか言ってみたいものである。「食べちゃいたいくらい〜」というのも頻回登場する。矢三郎でなくともぐらりとしてしまう。
 わたしは「そこそこの日常」が好きである。小学生の頃から、遠足や運動会より、いつもどおりの机に座っている授業が好きだった。特筆すべきことがない1日が落ち着くのだ。悪いことがあるのはもちろん嫌だが、あまりにもいいことがあるととてつもなく不安になるのである。今でも、そこそこの毎日が平坦に続けばそれで充分であると思っている(そうもいかないのが現実なのであるが)。矢三郎が何も祈ることがない程度に幸せである、と結ぶのを読み、同じ考えの人が物語の中にでもいてくれてよかった、と思った。

 コミック化もしていたのですね。漫画だとどうやって表現するのか読んでみたい。

(2008年 本屋大賞 第3位)

(amazon)有頂天家族 (幻冬舎文庫)
(Kindle)有頂天家族 (幻冬舎文庫)
(楽天ブックス)有頂天家族
(コミック版)
有頂天家族 (1) (バーズコミックス)
(アニメ版)
有頂天家族公式読本
有頂天家族 オフィシャルガイドブック (Gakken Mook)
君がいない夜のごはん / 穂村弘 (NHK出版)
 賞味期限について、夫婦間で何度も争いが繰り広げられている。
 日付で明確に表示されている場合はいい。賞味期限を気にする夫は食べなければいいし、無頓着なわたしは匂いを嗅ぎながら食べればいいのだ。
 しかし、日付が明確にされていないものは頭を悩ませる。
 例えば、カレー。3日目に突入したものを夫は食べようとしない。仕方なくわたしが朝食と昼食に胃に収める努力をする。
 例えば、しなびた野菜。野菜室でどんなに姿に変化していようが、夫は知らない。豚汁にでもして姿を分からなくしてしまえば、自動的に胃に放り込まれる。

 と、本書の「賞味期限」のエッセイを読んで思った。
 穂村さんのいうように、賞味期限を迎えた途端、さっと色が変わってしまったら一大事である。しかし、便利だ。腹をくだすことはなくなる。ううん、悩むな。

 芽吹きそうなじゃがいもの芽をこそげとり、ポトフを作っているときに、ふと思う。毒入りスープを作っている魔女みたいだな……と。


 著者と「ショコラティエとの戦い」も面白い。
 昨今のファッション用語にも通ずるものがある。いつの間にか、ズボンとスカートとジーパンとトレーナーが消えていた。
 「あ、ああそうか、パンツっていうんだ」とショッピングサイトで検索にかけると、今度はお目当てのものではないパンツが多々ヒットする。どうすればいいんだ。何が死語で何が新語なのかわからない。怖いから何も喋れなくなる。わたしも穂村さんのように、寝る前に布団の中で「パンツ、ボトムス」と繰り返し唱えないといけないのかもしれない。
 気がつけば、デザートのことは「スイーツ」というようになったし、ショートパスタも自己主張をはじめ何やら名称が馴染み始めた。流行の最先端を追い続けるのは大変だろう。しかし、最先端を追い続けることがステータスではなく失笑の対象にもなっているので、少しだけ安堵している今日この頃だ。

 タイトルが「君がいない夜のごはん」というものなので、ロマンチックだなあと思い読み始めたが、いつもと変わらない少し情けない昭和のおじさんが書いているエッセイでほっとした。
 そうか、カリフラワーが先だったのか……といらぬ納得をした。わたしはブロッコリーが白くなったんだと思っていた。

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